自らを語る

10歳の少年にとっての、ぞっとする問題
父が、音楽院の教授がお前の演奏を聴いて、この子は才能があるからパリに来るべきだと言ってたよ、と言うのが今でも耳朶に残っています。

音楽院について
まだほんの子供だった私にとって、音楽院に入学したことは、ネがティブな意味で人生に残る出来事でした。音楽院時代は苦しみました。ティーンエイジャーのまっただ中で、普通の子供とは全く違う人生を歩んだのですから。リセにも行けず、友人もなく、ヴァカンスを取ることもできない有様でした。それに、周りでは皆が牙を剥いていて、教授たちは一番できる生徒の取り合いをしていることを、肌で感じるような環境にぶち込まれていたのです。音楽院ではたいしたことを学ばなかったと感じ、卒業したときは、本当にうれしかったです。まだ半ズボンでピアノを弾いていたような子供が、台座の上の彫像のようにあがめられたのですから。音楽院の勉強を終えたとき、深い孤独感に苛まれました。一体これから何をすればいいのだろう、と。両親は、高いプライベートレッスン代を払ってくれました。結局この時期を、大きな損害を被ることなく抜け出ることができたのは、両親の強さと明晰さのおかげでした。

こんな状況でどうやって自分を失わずにいられるのだろうか?
私にはふたつ、チャンスといえるものがありました。一つは、私は音楽家庭に生まれましたが、ピアニストという職業に決して行き過ぎた野望を持たなかったということです。スポットライトをあびることを夢見たことはありません。二つ目は、長期間旅に出ることを受け入れられない時期があったほど、バランスのとれた幸福な家庭を強く望んでいたことです。私には、仕事がすべてに優先しないが故に、この職業をして幸せだと思えるのです。私はメディアで騒がれるような存在ではないし、幸いにも自分がこうありたいと思っていた人生を歩むことができています。音楽は、ブラヴォーの嵐を求めるようなものではなく、喜びであり続けなければならないと思っています。

音楽について
「音楽をしていなければ、パリ政治学院か、フランス国立行政学院かで学び、もしかしたら政治家になっていたかもしれません。
実際には、そのままの現実や、土や、花や、風や、単純なものが好きなのです。」

 

「音楽をしていなければ、パリ政治学院か、フランス国立行政学院かで学び、もしかしたら政治家になっていたかもしれません。
実際には、そのままの現実や、土や、花や、風や、単純なものが好きなのです。」

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